▼書籍のご案内-後書き

老中医の診察室

あとがき

 一九七八年の夏から秋にかけて、『上海中医薬雑誌』を復刊させるための作業を仰せつかった。そのころ、中医学の治療に関心を寄せている老作家が、数多い難病の治療過程を物語風にまとめて連載してはどうかという提案を寄せていた。必ずや読者から愛読されるであろうと太鼓判を押すのである。これはいい案だと思い、さっそく構想をかため、作者の物色にかかった。そして各方面からの推薦を受けて、柯雪帆君との面識を得た。彼は快く引き受けてくれ、さっそく執筆に入った。こうして『医林?英』は『上海中医薬雑誌』の復刊とともに連載され、広範な読者にお目見えしたのである。
 『医林英』が発表されてからというもの、読者の反響は予想外に大きく、雑誌があまり出回っていない地方では、手書きした「写し本」が次つぎに回覧されるというエピソードもあった。そして、第八回が連載されたころには優秀科学普及作品賞を受賞したのである。しかし、一方では学術誌に小説風の文章を連載するのは妥当ではないとの異論もあった。一つの事物をめぐって、異なる意見が存在するのは当然のことと思う。それが正しいかどうかは実践のなかで試練を受け、読者が評価すればよいのである。先ごろ、外国における科学技術書の出版事情を視察に行った同業者の話によれば、外国の学術誌の中にも、科学技術関係の読物が掲載されているということだった。
 学術誌には難しい長編の論文が掲載されるのは当然であるが、そうした形式にとらわれることなく、エッセイ、対談、書信、随想録のような、さまざまなスタイルの小品を載せてもよいのではなかろうか。   中医学は文学、史学、哲学と密接なつながりをもっており、歴代の中医学者のなかには、医学と文学に長けた者も多く、中医学の著作には、医理と文理が一体化しているものが少なくない。この種の書籍は医学の論述であると同時にすぐれた作品でもあり、中医学の特色をそなえていて、読者の評価も高い。『医林掇英』の成功は、作者が医学と文学の面で高度のレベルを有していることと切り離すことはできない。
 作者の明堅は、本名を柯雪帆といい、上海中医学院一九六二年の第一期卒業生である。先ごろ助教授に昇格したが、彼は同学院に残った同期の卒業生のなかでは、最初の助教授であり、上海中医学院傷寒温病教研室の副主任でもある。私たちは編集者と作者という立場にあって、互いに尊重しあい、意見を交しながら思考し、知識を補い合いながら、楽しく作業を続けている。これも一筆つけ加えたくて記した次第である。

王 建 平
一九八二年夏 上海中医薬雑誌社にて